レポート : エロマンガ is Dead(or Alive)special issue 2007
行って参りました〜。
場内はなんだか満席。男性が圧倒的に多い。
第一部は、永山薫著『エロマンガ・スタディーズ』がどういういきさつで刊行されることになったのかを中心に組まれた座談会。同著刊行に深い関わりをもつ東浩紀編『網状言論F改』 のメンバーが集合。司会は、伊藤剛、メンツは、永山氏ほか、東浩紀、小谷真理。書面参加は、竹熊健太郎、斎藤環。
第二部は、同著の内容であるエロマンガ史に関する現役漫画家らの座談会。こちらはより具体的なエロマンガ界の実情が語られた。このように、構成の意図はあきらかで、前半は永山氏によって顕在化された「エロマンガ・スタディーズ」に関するコンテクスト論、後半はテクスト論といったかんじ。事情により第二部は見れず。
第一部では、まず永山氏より、同著刊行が内容・状況に関して企画段階より困難になったのは、伊藤剛『テズカ・イズ・デッド』の衝撃があったからだと明かされ、『テズカ・イズ・デッド』評価をめぐるサントリー学芸賞問題について少々展開。
以下、諸々の話題を補足交えてメモ的に。
1. シニシズムへの対抗言論として
伊藤氏が『テズカ・イズ・デッド』の冒頭でマンガ衰退論への反証から始めていること、「エロマンガ・スタディーズ」がクズ・エロマンガ論争に対するカウンターパンチであることから、二作にはジャンルSF界におけるクズSF論争を彷彿とさせる姿勢が見られるのでは? これに笙野頼子氏による純文学論争を重ね合わせる(たとえば、ここ → http://enjoy.pial.jp/~fdi/frame.html)と、確実に90年代半ばからどんよりと蔓延していた業界幻想的シニシズムに対する、サブカルチャーのクリエーター側からの対抗運動が連動して起こっていた、と考えられるのかも。
2.『網状言論F改』における 『エロマンガ・スタディーズ』の位置
『テズカ・イズ・デッド』と『エロマンガ・スタディーズ』は、『網状言論F改』がきっかけで生み出された、という認識が網状メンバーにはある。具体的には『網状言論F改』p.135の東発言で、東氏は、サブカルチャーでの戦略として、二つの方向性があるとし、1. 「メイン・カルチャーに対してオルタナティヴやアンダーグラウンドの異質性を強調する」(例として小谷) 、2. 「むしろ両者の等質性を明らかにしたうえで、メイン・カルチャーの限界をオルタナティヴから照射していく」(例として東)と指摘している。この点を引いて、東氏の投げた発言は、1は永山氏2.は伊藤氏の作品として結実しているのではないか。
3.「やおいパネルディスカツション」との関わり
『エロマンガ・スタディーズ』には、日本SF大会でたびたび行われている「やおいパネルディスカッション」とも関係がある。「やおいパネルディスカッション」に、永山薫氏が参加することになったのは、作家・野阿梓氏の力が大きかった。
耽美的作風で知られる野阿梓氏は、女性ばかりのやおい界になぜ自分ひとりだけ男性作家として混じっていたのかという問題意識をはやくから持っていた。そこで、99年当時女性と男性が共有するジャンルとして活発だったショタをめぐる思索に、その答えを見いだそうとしていた。で出会ったのが伊藤剛氏、及び永山薫氏の論考である。特に永山氏の論考にひきつけられた野阿氏は、「やおパネ3」で永山薫氏を招待するように提案した。ところが、2000年横浜で開催されたZEROCONにおける「やおいパネルディスカッション3」( http://homepage3.nifty.com/Noah/yaoi_pd3.htm )では、野阿氏自身が熱く語りすぎて大暴走してしまい、肝心の永山氏の話がくわしく聞けなかったため、翌2001年幕張で開催された「SF2001」における「やおいパネルディスカッション4 : リベンジ・オブ・ショタ」が企画された。同パネルには、永山氏ほか、「3」で聴衆のなかにいた米澤義博氏、ほかに東浩紀氏らが招かれた。ちなみに『網状言論』パネル( http://www.tinami.com/x/moujou/ )は、同年九月に開催されている。
「やおパネ3」での永山氏のスピーチは、プロ系エロマンガ史の流れを概説し、ショタにいたる道筋をつける内容だった。このとき、米澤氏からコミケでのロリ・ブームは、勃興するやおい軍に対抗するモノとしてあるていど仕掛けられたものだったとの指摘があった。また、ポルノにおける感情移入の分析から、するほう、されるほうにおける主客転倒の構造も、永山氏のショタ分析で明らかにされていた。
4. メイキング・オブ・永山薫
永山薫という人物とは…? 「永山薫氏のできかた」について。その驚くべき経歴があきらかに。
松岡正剛氏に弟子入りした経験があること、小説を書いていたこと、エロマンガの研究家というだけではなくクラシック(中世音楽)に関しても造詣が深いこと、あるいは『殺人者の科学』という著作があることなどから、複雑な知性の持ち主という素顔があらわれてくる。
東氏によれば、もともと日本には、アカデミズムにもジャーナリズムにも分類できない、独特の知識人像がある、という。ここに東氏らが関心をよせる「おたく像」が重ね合わせられるのかもしれない。なぜなら、このあと、オタキングこと岡田氏が「おたく」を種族として捉えているのに対し、永山氏はおたくをプロトコルとして捉え、だれにでも開かれていると考えているのではないか、といった議論に入っていったからだ。永山薫という人物は、「日本の知識人像」としての「おたく」を考える上で、非常に興味深い事例と言えるのではなかろうか。